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なぜ法輪功は迫害されたのか?共産党についての九つの論評


【第五評】法輪功への迫害における江沢民と中国共産党の相互利用  転載記事

法輪功への迫害における江沢民と中国共産党の相互利用

(一) 法輪功は“真・善・忍”を信じ、共産党は“偽、悪、争”を信じる
法輪功は“真”を唱道する。これには本当のことを言い、偽りのないことを成す、ということを含んでいる。しかし、中国共産党はその反対に、常に嘘によって洗脳を行ってきた。“嘘を言わなければ偉業は成し遂げないものだ”という手口より、政権を掠め取った後、毎回の運動の中で、累々と血の債務を負っているのである。もし人々が本当のことを言うようになれば、民衆は中国共産党が、元来ソ連に頼り、殺人、拉致、逃亡、アヘン栽培、偽の抗日などで、家業を作り上げたということを知るようになる。これは中国共産党にとって正に最期の到来である。法輪功は“善”を唱道し、常に他人を考慮し、善を成さなければならない。しかし、共産党は常に“残酷に闘争し、無情な仕打ち”を提唱してきた。中国共産党の模範的英雄である“雷鋒”は、「敵に対しては厳しい冬のように冷酷無情でなければならない」と言っている。実際のところは、中国共産党は敵に対してだけでなく、党内部の人に対しても、ほとんど変わらない。中国共産党の開国元老、元帥そして国家主席をも含めてみな、情け容赦もない批判や殴打、残酷刑などを受けていた。“階級の敵”に対する虐殺は、なおさらそれ以上に恐ろしいものである。もし“善”が社会で優勢に立ったら、それらの“悪”を基礎とする群衆の運動は、もう出現できなくなるのである。

『共産党宣言』の中で、「今日に至っても、すべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と述べている。これは共産党の歴史観及び世界観を代表している。法輪功は矛盾が現れてきたら、自分の問題を顧みるように唱道している。この世界観は、内に向かい反省するというものであり、共産党の外へ向けられた闘争哲学とは、きつ然と対立している。

しかしながら、闘争は共産党が政権及び生存を維持するための、主要な手段である。周期的に粛清する政治運動を発動することは、正に自分を絶えず充電し、“革命の闘志を煥発させる”ためである。この種の暴力及び嘘によってさらに強化させ、熟知させる過程こそが、また人々の恐怖を刷新するものであり、その統治の過程を維持するためでもある。

このように、イデオロギーから言っても、共産党の生存のよりどころとなる“哲学”は、法輪功の教えとは、きつ然と対立するものである。

(二) 信仰により人は恐れというものを知らなくなるが、中国共産党は恐怖というものによって政権を維持しなければならない
真理を認識し、そして十分に理解した人は、恐れというものを知らないものである。キリスト教はかつて三百年もの迫害を経てきた。無数のキリスト教徒は、ローマ皇帝によって斬首され、焼死され、溺死させられ、ひいてはライオンの餌とされてきたが、キリスト教徒は屈服しなかった。歴史上の佛教法難も、同じように節操を堅く守り、屈服しないという表現がそこにあった。

無神論宣伝の一つの重要な目的とは、人々に天国も地獄も、善悪による応報も、信じることのないようにするためである。それによって、良心による自制を放棄し、現実の栄華及び享楽ばかりを重視するようになる。そして、人間性おける弱点に対して、操作し、脅迫し、利によって人を釣ることに、充分な効力を発揮することができる。しかし、信仰者は、生死及び世俗の煩わしさをも、看破することができ、このようになれば、世俗の誘惑及び生命への威嚇は、非常に軽いものとなり、共産党が人をコントロールしようしても、その力の入れ所を失わせるものとなる。

(三) 法輪功の道徳面での高い基準は、中国共産党にとって耐え難いものである
1989 年の“64”事件以来、中国共産党のイデオロギーは徹底的に崩壊した。特に1991年8月、ソビエトの崩壊、そして東欧の激変は、中国共産党に極大な恐怖及び圧力をもたらした。内外共に行き詰った形勢は、共産党統治の合法性とその存続に、空前の挑戦をもたらしたのである。このときの中国共産党には、すでにマルクス、レーニン、毛沢東らの本旨の主義によって、党員を統合することができなくなり、全面的な腐敗により、党員の忠心を交換することで、手に入れるようになった。

言い換えれば、誰でも党に追随すれば、汚職行為といった方法により、入党しない人には得られないメリットを、手に入れることを認めたのである。特に1992年、鄧小平[5]の南方巡回以来、中国には至るところに、役人ブローカーの横行、土地産業及び株式市場の投機、密輸、愛人囲い、扇情的風俗、賭博、薬物乱用などが蔓延した。“洪洞県内にはもう良い人はいない”とまでは言えないものの、すでに民間は中国共産党の腐敗を一掃することに自信を失い、中級及び上級幹部の腐敗の割合は、半数以上と考えるように至ったのである。

(四)法輪功の発展及び管理方式は、中国共産党の嫉妬の元となった
法輪功の発展の方式は、人から人へ、心から心へ伝わり、採用される管理方式は、来るも去るも自由であり、非常に緩い管理である。これは中国の厳密組織とは全く異なっている。それにも関わらず、中国共産党の毎週一回、あるいは数回に渡る政治学習、組織生活はまるで形骸化されたものとなっている。党のイデオロギーに対する党員の承認は、ほとんどゼロである。しかし、法輪功学習者らは、自覚を持って“真・善・忍”を実践している。また、法輪功の心身の健康に対する改善は、修煉者数を二乗の速度で増加させ、修煉者は自ら望んで李洪志師の諸著作を学び、自費により法を広めていた。わずか7年間で、法輪功学習者は無から一億人にまで増加した。当時、およそすべての中国の公園で、法輪功を煉功する際の音楽が流れていた。

共産党は、法輪功が中国共産党と群衆を“争奪”している“宗教”であると流言している。実際のところ、法輪功が人にもたらしたのは、一種の文化と生活様式であり、中国人がすでに遺失してから久しくなった、祖先の文化及び伝統の根である。江沢民及び共産党が、これほどまでに法輪功を恐れているのは、この種の伝統的な道徳が、一度群衆と溶け合って一体となってしまえば、いかなる力もその迅速に拡大する勢いを、阻むことができなくなるからである。こうした生まれついての伝統は、共産党により数十年間断絶され、改ざんされた。

再び伝統そのものを拾い上げることは、歴史の選択であり、一種の広大な群衆が苦難を経験した後に、自分の選択した帰結である。この種の選択の必然となる結果は、つまり是非を唱え、邪悪を捨て去ることである。つまり共産党に対する根本的な否定及び除去でもある。これは中国共産党にとって死への急所を刺されたようなものである。特に法輪功を修煉する人数が、中国共産党員の人数を超えたときの、中国共産党の内心から発した恐怖と嫉妬は想像に難くない。

そして、中国共産党の社会へのコントロールは、徹底されたのである。農村の“すべての村には党の支部がある”、都市の中で党の支部は、幹線道路、軍隊、政府及び企業といった最も末端にも、党の組織がある。この種の絶対的な独占性及び排他性は、中国共産党が政権を維持するための重要な手段である。『憲法』の中で、その名を美化して“党の指導を堅持する”と定められている。法輪功の修煉者は“真・善・忍”を基準としたいと心から願っている。しかし、中国共産党から見れば、これは全く受け入れることのできない“党の指導を否定する”ものなのである。

(五)共産党は、法輪功が“有神論”を信仰することで、その政権の合法性を脅かすと考えている
真の有神論の信仰は、共産党にとって必ず重大な挑戦となる。なぜなら共産党が政権を握る合法性の源は、いわゆる“歴史唯物主義”である。“人間の天国”を建てるためには、人間による“先鋒隊”に頼らなければならず、つまり“共産党”の指導である。そして、“無神論”は、随意に道徳の善悪を解釈できるようにさせたものであり、本来の道徳ではなく、共産党が永遠に“偉大で栄光に満ち、正しい”とさえ、民衆が覚えればそれでよいことになる。

有神論は、民衆に一つの普遍的な善悪の基準をもたらすものである。法輪功学習者にとっては、ある事柄が正しいかどうかは、“真・善・忍”を持って判断するものであり、中国共産党の一貫した“統一思想”にとって障碍となったものである。

さらに多くの理由があげられるが、上述された五つの原因の中のいずれも、中国共産党にとっては十分に致命的である。江沢民が法輪功を弾圧することも、同じ原因がもたらした結果といえよう。

江沢民は嘘の略歴を報告することで、今日の地位の基礎を作り上げた。よって“真”を恐れるものである。民衆を弾圧することによって早く出世したのであり、もちろん“善”は好まない。党内で互いに腹を探り合って、暗闘することによって権力を維持したため、もちろん“忍”も嫌いである。

江沢民の度量の小さいこと、嫉妬心の強いことは、ある些細な事件からも分かる。浙江省余姚県(現在は市となっている)には、“河姆渡遺跡博物館” [6]があり、全国の重要な文物を保護している施設である。当時の“河姆渡遺跡博物館”の看板の題辞は、喬石氏[7]に依って書かれたものである。1992年9月、江沢民が参観した際、喬石氏の書いた題辞を見て、直ちに暗い顔となった。同行者らも一瞬にして緊張した。江沢民が喬石氏を受け入れないことも、また自身をひけらかすのが好きで、どこに行っても、その場所で題辞を書き記すようにしていることを、皆知っていたからである。

“済南市公安局交警支隊”及び“鄭州市退職エンジニア協会”でさえも、題辞を書き記すようにしていた。博物館の幹部は、狭量な江沢民に対するもてなしが、不行き届きとなるのを恐れ、1993年 5月、博物館が休館後再公開されるということを口実にして、江沢民の題辞に替えたのである。

毛沢東のものは“雄文四巻”と称されている。『鄧小平文選』の中にも“猫論” [8]の実用主義の思想がある。江沢民は苦労してやっと三つの言葉を作り出し、またそれを“三講”と名づけたのである。本が印刷された後、中国共産党組織による系統的な宣伝を経て、強制的に発注させることで、初めて売り出されるようになった。しかし、党員らは江沢民に少しの敬意もなく、却っていたるところで、女性歌手とのゴシップ、国外で“オー・ソレ・ミオ”を歌ったこと、スペイン国王の前で、髪をすくなどのスキャンダルを広めた。一方、法輪功の創始者は平民の出身であるが、講演する時には、大学教授、専門家、留学生などが集まり、多くの博士、修士などが遠路をいとわずに、講演を聞きに来ていた。充実した明快な話を原稿もなく数時間講じ、そして説法の録音が活字になれば、すぐに本として出版された。虚栄心と嫉妬心に満ち、狭量な江沢民にとって、これらのすべては、我慢ならないことであった。

江沢民の生活は、極めて荒んで腐敗していた。豪華な専用機を購入するため9億元をも使い込んだ。国庫から数百億元を取り出しては、息子の商売に使った。姻戚関係を利用して、すべての親族及び腹心を、部級以上の高官に抜擢した。部下の汚職行為を庇護し、すべてにおいて頂点を極めていた。そのため、江沢民は法輪功の道徳の力を非常に恐れ、さらに法輪功の講じる天国と地獄、善悪による応報が、本当であることを恐れていた。

江沢民は、中国共産党の最高権力を手に入れたものの、政治における業績及び才能に欠けているため、常に自身が中国共産党の残酷な権力闘争の中で、失脚することに対し不安を感じていた。その権力の“核心”の権威に、非常に敏感になっていた。自身と見解を異にするものを取り除くために、江沢民は陰謀詭計をめぐらしては、政敵の楊尚昆、楊白氷兄弟らを排除した。

1997年の中国共産党十五大会及び2002年の中国共産党十六大会のとき、江沢民は政敵 を失脚させたが、彼自身は規定を顧みず、権力を握ったまま退こうとはしなかった。

1989 年の“64”事件の後、中国共産党の新しい総書記となった江沢民は、国内外の記者会見に出席した際、フランスの記者が、64事件によってある女子大生が、四川の農場のレンガ運搬作業へ配置され、地元の農民によって、何度も強姦されたということを述べたが、江沢民は「その事情が事実であるかどうかは知らないが、彼女は暴徒である。もし本当であるならば、その罰を受けるだけのことがある」と答えた。文革の中で、張志新[9]が中国共産党の監獄の中で、輪姦されてから喉を切られたことは、江沢民から見れば同じく“罰を受けるだけのことがある”ということなのであろう。この様に、江沢民の下劣で変態かつ残虐な人格を伺うことができる。

概括的にいうと、江沢民の暗い心理、独裁権力への欲望、残虐な人格及び“真・善・忍”に対する恐怖により、江沢民が理由もなく、法輪功の弾圧を起こしたゆえんである。このことは共産党組織と極めて一致しているのである。

三 江沢民及び中国共産党の間における相互利用
江沢民は、一心に法輪功を“消滅”させ、自身の私憤を晴らそうとしていた。しかし、自身をひけらかすことに夢中になり、政治をもてあそび種々の計略に夢中となり、その無学無能さは、広く知れ渡っていったのである。中国の伝統的な文化に根を下ろし、広範な社会的基盤をもつ、煉功の群衆に対して、江沢民一人では無力も同然であった。しかし、都合よく中国共産党という暴政マシンがすでに磨きがかかり成熟していた。そして同じように法輪功を取り除こうとした。共産党総書記である江沢民にとっては、正に火に油を注ぐようなもので、弾圧をするというキーを軽く叩いたのである。二者の弾圧の呼応共鳴は、まさに登山者の叫び声により、雪崩を引き起こすような効果があった。

江沢民が弾圧の命令を下達する前、中国共産党の法輪功への討伐、監視、調査及び無実の罪をでっち上げることは、早くから始められていた。中国共産党という邪教組織が固有に持つ、邪悪が本能的に、“真・善・忍”の存在が脅威であると感じていたからである。

さらに、これほども広大で依然として迅速に拡大していく、修煉団体を容認することができなかった。1994年当時より、中国共産党の公安員が、すでに法輪功の中に潜り込んでいたが、何の問題も発見されない上、多くのスパイも法輪功を修煉しはじめるようになった。1996年、『光明日報』は気功に対し、“宣伝しない”、“干渉しない”、“打撃しない”という三つの政策に背いて文章を発表し、思想領域で理由もなく法輪功を批判した。その後も、公安局及び“科学者”の肩書きを持つ政客による法輪功への攪乱は、一向に後を絶たなかった。

1997年初頭、中国共産党中央政法委員書記・羅干は、職権を利用し、公安部門に全国規模で法輪功に対する調査を行うよう指示した。その意は無実の罪名をでっち上げ、法輪功を取り締まることにあった。各地で“未だ何の問題も発見されず”という結論が出された後、再び羅干は1998年7月、中国公安部一局より、公政[1998]第555号の『法輪功に対しての調査を展開する通知について』を出した。法輪功を“邪教”と断罪し、全国各地の公安部門に組織的な“潜入調査”を行わせ、証拠収集をしていた。しかし、調査の結果は依然として何も見つからずに終わったのである。

中国共産党が、一つの邪悪組織として手を出そうとするときには、もう一人の最も肝心な弾圧マシンを起動する人が必要である。この際、中国共産党の指導者の処理は重要な役割を果たしてくる。一人の個人として、中国共産党の党首は、人間性の中にある善と悪を同時に持っている。もし“善”を選択すれば、しばらくは、中国共産党の邪悪な政党の性質の発作を抑制することができる。もし“悪”を選択すれば、中国共産党の邪悪な性質が十分に現れることであろう。

64天安門事件のとき、中国共産党総書記である趙紫陽は、学生を弾圧するつもりはなかったが、中国共産党を支配する八大元老は、執拗なまでに弾圧をしようとした。その当時、鄧小平は「二十年間の安泰と引き換えに、二十万人を殺すことだ」と言った。この“二十年の安泰と引き換え”とは実質上中国共産党の二十年間の政権と引き換えるということである。これは中国共産党の独裁専制の根本的な目的と合致したため、中国共産党はそれを受け入れた。

法輪功の問題においては、当時の中国共産党政治局の7人の委員の中で、ただ江沢民だけが弾圧することに固執していた。江沢民の打ち出した口実とは、“党が滅び、国が滅ぶ”ことに関連しているのである。これが中国共産党の最も敏感な神経に触れた。江沢民個人の権力維持と中国共産党の一党独裁維持は、ここで高度な統一が得られたのである。

1999年7月19日夜、中国共産党高層会議を司会する江沢民は、権力を持って法に代わり、自ら認識を “統一”し、一人で全面的な弾圧の決定を下し、中国政府の名義で全面的に法輪功を取り締まり、世人を騙した。中国共産党及び中国共産党のコントロールする中国国家政権及び暴力マシンは、スピードを上げ、天地を覆い隠すように、無辜の法輪功民衆を弾圧し始めた。

これより、私たちは一つの仮説を立てることができる。もし当時の中国共産党総書記が、江沢民ではなく、他の誰かであれば、今回の弾圧は発生しなかったことであろう。この意味合いから言えば、共産党は江沢民を利用したのである。

もし、共産党のその血による債務及び危機感のためではなく、その十悪をすべて備えている卑劣な天理、及び人間性の絶滅した本性でなければ、共産党は法輪功を脅威とみなさなかったことであろう。中国共産党の社会に対し、あらゆる隙を狙い、全面的なコントロールを行うというものがなければ、江沢民の弾圧をしようとする意志は、組織による保障、財政による保障、メディア宣伝による保障、外交による保障、人員による保障、設備による保障、及び監獄、警察、国家安全隊、軍隊、偽宗教団体、科学技術、民主党派、労働者連盟、団結委員会、婦人連盟などからの支持も得られなかったであろう。この角度から見ると、江沢民は共産党を利用したのである。

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法輪功(ファールゥンゴン)迫害

今や中国人もまたコンピューターと宇宙飛行の時代に入り、私生活でも人権、自由と民主について語ることができるようになった。多くの人々はにあった恐ろしくてぞっとする、気味悪い暴挙は既に過去の出来事と思い、中国共産党は文明のコートを着て、世界と共に行動する時代になったと思っている。

しかし、現実はそうではない。中国共産党がある団体は彼らの拷問と虐殺を恐れないと知った時、あらゆる手段が更に狂気じみたものとなった。そして、その残忍な迫害を受けているのが法輪功(ファールゥンゴン)なのである。

紅衛兵の武装闘争と広西省の人食いは、相手の肉体を消滅させるのが目的である、数分間あるいは、数時間で一つの命を断ち切るというものである。それに対して法輪功(ファールゥンゴン)修煉者に対する迫害の目的は、彼らに「真・善・忍」の信仰を放棄させることが目的である。しかも、残忍な酷刑は常に数日間も、あるいは数ヶ月間、数年間も続いている。統計によれば、既に一万人の法輪功(ファールゥンゴン)学習者がこのために命を失った。

九死に一生を得た法輪功(ファールゥンゴン)の修煉者は、彼らが受けた百種類を超える拷問の数々を記録した。以下にその中の幾つかの例を挙げる。

ひどく殴打する手段は、法輪功(ファールゥンゴン)学習者に対して最も多く使用される拷問の一つである。警察官や獄吏らは、学習者をその場で直に殴打する他に、受刑者らにも学習者を殴打するように指示する。一部の学習者は、ひどい殴打によって耳が聞こえなくなったり、耳が裂けたり、耳が切れて取れたり、眼球が飛び出たり、歯が折られたりした。又、頭蓋骨、脊髄、肋骨、鎖骨、腰椎、腕、足の骨はひどい殴打によって折られたり、切断されたりした。又、男子学習者の睾丸を強く握りつぶしたり、女子学習者の陰部を強く蹴ったりした。学習者が屈服しなければ再び刑にかける。学習者らは皮膚が裂け、傷口の肉はぱっくりと開き、血だらけになり、元の形に戻らず変形するまで殴打され続ける。更に、塩水をかけ、高圧スタンガンで電気ショックを与え、血の生臭さと肉を焦がした臭いが悲鳴と共に交じり合う光景は、人の心が引き裂かれるほど強烈なものがある。又、屈服させるために、ビニール袋を頭に被せ、窒息する恐怖の中で殴打し続ける。

電気ショックは、中国の強制労働収容所で最もよく使われる拷問の中の一つである。警察官はスタンガンで、学習者の最も敏感で弱いところ、口腔、頭頂部、胸、陰部、女子学習者の乳房、男子学習者のペニス、肛門、太腿、足の裏などに電気ショックを与える。一部の警察官は、身体の至るところに電気ショックを与える。又、一度に数本のスタンガンを同時に学習者の身体に当て、肉を焦がした臭いが出るまで当て続ける。電気ショックを受けた学習者の身体は黒紫色を呈す。一部の学習者は頭頂部と肛門に同時に電気ショック与えられた。警察官は一人の学習者に対して10本、あるいはそれ以上のスタンガンを同時に使うこともしばしばあった。更に電気ショックを与える時間を長くした。このスタンガンは通常数万ボルト以上である。電流を連続して流す時には青い光を放ち、耳障りなピシピシという音が出る。 電流は人の身体に当てた瞬間、一気に火傷をしたような感じで、同時に蛇にでも咬まれたような感じがする。電撃される度に、蛇に咬まれたような激痛が走る。そして、電気ショックを受けた箇所は、すぐに赤くなり、肉が裂け、焦げて膿が出てくる。更に高圧のスタンガンによって、電気ショックを受けた場合は、まるで頭頂部を鉄鎚で、勢いよく叩かれたように凄まじいものである。

また、タバコの火を手、顔、足の裏、胸、背中、乳頭に当て、ライターの火で手、陰毛を焼き、加熱して赤くなった鉄線を両太ももに押し付ける。赤く焼かれた木炭を学習者の顔に押し付けて焼く。あらゆる拷問で虐待され瀕死状態になった学習者を生きたまま焼死させた後に、外部に対して「焼身自殺」として報道する。

女子学習者に対しては、胸及び乳房、下半身めがけて殴るのである。スタンガンを乳房と陰部に当て、電気ショックを与える。更にスタンガンを膣に入れて電流を流す。また、四本の歯ブラシを一束にして、女子学習者の膣に強引に入れ、歯ブラシを強くこすり回す。火かき棒で女子学習者の陰部を引っ掛ける。女子学習者の両手を手錠で後ろ手に掛け、電線を両方の乳頭に通し電気ショックを与える。女子学習者の衣服を剥ぎ取り素っ裸にし、男性牢屋へ入れ、男性犯罪者らに凌辱させる。

「恐怖の拘束服」[13]を法輪功(ファールゥンゴン)学習者に着せ、両手は後ろで交差させ縛る。更に後ろで交差させた両腕を両肩の上を通って胸の前まで引っ張る。両足を縛ってから、窓の鉄棒に宙吊りにされる。口を布で塞がれ、耳にヘッドフォンを付けられ、法輪功(ファールゥンゴン)を汚す録音を延々と聞かされる。この酷刑を受けた者は、その場で両腕に傷害が残る。先ずは両肩、両肘、両腕の箇所の筋が切れ、骨に亀裂が生じる。拷問の時間が長ければ、背骨も裂けて折れる。学習者は生きたまま痛みを嘗め尽くして死んで行く。

また、学習者を汚水、あるいは糞尿の中に全身を浸させる「水の牢」という酷刑がある。他には、先が鋭く削られた竹串を学習者の指先に差し込む。天井とほとんど隙間の無い狭い棚の上、又は、冷たい床に寝かす、至る所に赤、緑、黄色、白のカビが生えている部屋に入れられ、シェパード犬や毒蛇、蠍を使って学習者を咬ませる。神経を破壊する薬物を注射させるなど、その他奇奇怪怪な虐待手段が山ほどある。

転載ここまで。

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