新自由主義を最初の頃に導入したのはイギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領。
どちらも支持率が高く人気があったように感じます。
シカゴ学派の新古典主義の経済政策になります。
ミルトン・フリードマンなどが有名です。
イギリスなんてのが理解しやすいと思います。
なんせ学校の教科書でも出てくる「ゆりかごから墓場まで」という言葉があるように、大きな政府で社会保障や福祉が手厚い社会からの転換でしたからね。
国家財政が逼迫して、「もう~もたん」という悲鳴のなかから「鉄の女」サッチャー首相が「小さな政府」による「規制緩和」を行った。
日本で言う「小泉純一郎」みたいな感じですね。
「政府の役割」をどんどん否定していくところに特徴があります。
電気・通信、金融。
刑務所までも民営化してしまった。
とことん合理化して、なんでもかんでも「市場原理」に身を委ねるというサバイバルがむき出しになった走りですね。
そんなものが加速して、個人単位では「自分の利益しか考えない・自分さえよければいい」といったエゴイズムが常識化していまった。
世も末です。
日本では中曽根総理のときに「電電公社」・「専売公社」・「国鉄」の民営化がはじまりましたね。
当時僕は小学生だったので何のことだかさっぱりわかりませんでしたが、社会が大きく変容していく転換点だったのです。
高校生の頃ぐらいに、社会は「弱肉強食」・「サバイバル」・「個人主義」・「フリーター」などの言葉があふれていましたが、やはり当時は何のことだかわかりませんでした。
これは労働市場における労働者の使い捨てを意味していました。
労働者は単なる「労働力」。
利益を上げるための「コマ」。
人(ひと)では無いのです。
といった「概念」だったのですね。
労働者を人間として認識していないところに特徴があります。
新自由主義、恐るべし!
現代社会はそんな世界に爆進しながら荒廃していっているわけですが、いい思いをしているのは富裕層なわけです。
一般庶民はヘトヘトですよ。
極限までエゴイズムを正当化し、市場原理の中、効率ばかりを求めていったら「人間」は壊れてしまう。
実際、壊れている人がたくさん生み出されていますね。
こんな中で政治家が「道徳」を唱えても説得力がない。
今の世の中は、人を蹴落としてでも登っていかなければ自分が生きられない。
「寛容」などというものは、机上の空論になっているのかもしれませんね。
新自由主義を喜んで推し進めている人たちをみていると、社会とは何のために存在しているのか疑問に思います。
一部の人たちの利益のために、疲弊している人々。
人間が尊重される社会で、ゆったり生きるのが僕の好みかな!!