きっと龍馬が

坂本龍馬はとことん不思議な人だなと思います。

ペリーが浦賀に黒船で襲来したとき、日本人は度肝(どぎも)を抜かれました。

そしてペリーは幕府に開国を迫ってきたのです。

幕府はあっけなく、開国してしまいました。

そこで白熱したのは『尊皇攘夷』運動です。

「幕府は弱腰でダメだから天皇を中心として、外国人を追い出そう~ぜ」という考え方です。

当然、龍馬も『尊皇攘夷』運動に身をとうじます。

「外国人をやっつけてやるぜよ~!!」とね。

しかし龍馬の考えを変えた人物がいました。

『勝海舟』です。

「龍馬くん、『攘夷』というが文明や科学力が日本より何十倍も発展していて、鉄の船を浮かべて蒸気で動かすことのできるような相手にどうやって勝つのかね。刀じゃ勝てんよ。今は、外国の技術を学び、対等の力を持つことの方が先なんじゃないかね。日本は長く眠りすぎた」と。

龍馬は勝海舟の弟子になり外国について学び始めます。

『尊皇攘夷』運動の仲間は龍馬に言います。

「何をやっとるかが、、、勝海舟は幕府の開国派じゃぞ~!龍馬、おんしはだまされておるんじゃ~。はよ~、目を覚ませ~!!」

「いや~、勝先生は凄い人ぜよ!!」

龍馬は欧州列強からの植民地政策に立ち向かうためには『海軍』を強くしなければダメだと考えました。

龍馬の頭には既に世界的観点から、「日本をどうするか」という思考がフル回転していたのです。

そこには『尊皇攘夷』も『佐幕』ありませんでした。

龍馬が見つめていたものは『民主主義(デモクラシー)』、【新しい社会構造】の構築でした。

当時、龍馬のように柔軟に物事を考えられる人は少数でした。

それゆえ、龍馬は土佐藩の仲間たちに心配されていたのです。

「龍馬は大丈夫かが・・・」

幕府の作った「神戸海軍学校」の塾頭とし勝海舟の教えをこいながら、『倒幕勢力』の志士たちの人望を得ていました。

後世の歴史家は、そんな龍馬を『幕末の奇跡』と呼ぶ。

だからこそ聡明な薩摩藩の「西郷隆盛」や、長州藩の「桂小五郎」「高杉晋作」から絶大な信頼を得られたのでしょうね。

僕は思います。

人間で大切なのは『感性』だと。

「理屈」ではないのです。

「感覚」で物事を感じ、判断することです。

そのためにいろいろな経験をして、『感性』を磨かなければならないと。

そして『確固たる信念』を道しるべに歩んでいけば、光のない暗がりでも道に迷うことなく進んで行ける。

今、僕が目指している目的には「モデル」がありません。

僕自らが創りださなければいけないのです。

暗くて道が見えません。

でも歩いています。

『感性』を頼りに。

僕の目指すものは『新たなる社会構造』の確立。

『新たなるイデオロギーの創造』です。

「書物」との格闘。

「哲学」との対峙。

「フォトジャーナリストのくせに、写真撮ってねーじゃんかよ」と言われそうですが、思索なきジャーナリストの表現に人心動かず。

そういうことで毎日『哲学』しています。

きっとそんな僕でも「龍馬」なら応援してくれると思っています。

なぜなら、苗字がおなじ【坂本】だから!!!



コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Related Post

中学生の将来中学生の将来

最近、古口先生のサポートで道場生にいろいろと教えたりしています。 学生などに対して思うことは、「果たして空手の指導だけしていればいいのだろうか?」という疑問です。 最初に入ってきたキッカケは親の勧めが大半ですが、やってい […]

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。